これは、とある時空のとある世界のお話――。
林の中、木漏れ日が優しく落ちて、草花に光の模様を作る。
唯は、水を汲むために、湖に向かっていた。唯の住んでいる家からは些か距離があったが、いつも散歩
がてら、この林の中を彷徨う時間は嫌いではなかった。
真っ白なワンピースに、髪をポニーテールに結わえて、その髪にも木漏れ日が落ちて、美しい文様を
作る。
樹々が季節ごとに彩りを変えて、装いを変え、何度歩いても、飽きることはなかった。
少し暑くなっては来たが、萌える木々が深緑へと色を塗り替える時期で時折、肌を撫でる風は涼しくて
気持ちがいい。
(ふう……。やっと、目的地が見えて来た……!)
林の奥にある、美しい湖にようやく辿り着いた。どこまでも澄み切って、
美しい湖。鏡のように静かな湖面、そして、そこに映る樹々と空の色が呼応して、神々しい。
(……本当に綺麗……。この美しさ……いつ見ても感動するけれど、今日はいつもにも増して――……。)
その時だった。唯の目の前に、ふわりと光が現れ、くるくると唯の周りを雨のように唯に降り注ぎ、
その光の飛沫は、改めてまた一つの光に集約し、その強い光の中から、ヴァイオリンが現れた。
(ヴァイオリン……!?……私は……この楽器を知っている――。)
不意に、唯はヴァイオリンを手に取り、構えた。そして、弓を楽器に添えると、なだらかに音を
奏で始めた。自然に心から溢れ出る音色……。まるで、自分が弾いているという感覚が感じられない
ほど、気持ちよくなり、そっと目を閉じた。
ざっぱーーーーーん!!
急に大きな音がして、唯はびっくりして、音がした方向を凝視した。一瞬何が起こったのが、状況が
把握し切れずに、完全に思考回路は停止してしまった。
「――……!?」
先程まで鏡のように凪いでいた湖から、刑部と思しき人物が、三人の人物を抱えて湖の中から現れたのだ。
しかし、心なしか、いつもすらっとしていて、スタイリッシュな印象のある、唯の知っている刑部とは
違うようにも感じた。ギリシャ神話に出て来るような衣装に、心なしか……いや、だいぶと筋肉が発達
しており、まるで武闘家のような体格になっていた。
「……刑部さん……ですよね!?」
「どうした、コンミス?君が俺を呼んだのだろう?」
そして……よくよく見ると、刑部に連れて来られた三人は、三人とも桐ケ谷だった。三人とも、
ぐったりしている。
「コンミス……君の落としたのは、【金髪の桐ケ谷】、【普通の桐ケ谷】、【黒髪の桐ケ谷】の内どの
桐ケ谷晃だ……?」
(……落とす……?これは……どういうことなの!?)
あまりの唐突の問いに、唯は更にぽかんと口を開けたままである。
「ちなみに、【金髪の桐ケ谷】はいつも以上に更にやんちゃ坊主であり、【黒髪の桐ケ谷】は真面目な
成績優秀な優等生だ。」
刑部は抱えていた三人を、唯のいる湖岸に横たえた。金髪桐ケ谷は確かに、特攻服のような変形
学ランを今時着ており、いかにもヤンチャに暴れ回っている姿が想像出来る。更に、黒髪桐ケ谷は、
シャープな眼鏡に濡れ羽色の髪を一つにまとめ、黒い学ランをピシッと着込んでいる。
普通の桐ケ谷と刑部が言った桐ケ谷は、唯も知っている常工の制服姿だ。
「一体、桐ケ谷さんに何があったというんですか!?」
「ふふふ……それは、君の想像にお任せしよう。」
刑部と話をしていると、三人の桐ケ谷がそれぞれ意識を取り戻した。
「刑部!お前、どういうつもりだっ!」
一番血気盛んな金髪桐ケ谷が、きっと睨みつけた。怒りを隠せない、といった雰囲気だ。
「まぁ、落ち着き給え。力で敵うような相手ではないのだから、ここは作戦をじっくり練るべき
だろう。」
黒髪桐ケ谷が、眼鏡に手を添えながら、冷静に言葉を放ち、金髪桐ケ谷の行動を抑制しようとする。
「はは、まぁ、こうなっちまったもんは仕方ねぇ。刑部の手の内ってのが、少し気に入らねぇが、
しばらくは成り行きに任せて、この状況楽しむしかねぇな。」
普通の桐ケ谷は、刑部に運命を掌握されているのが、些か不満ではあるものの、いつも通り、
マイペースで、むしろこの非日常を楽しんでいた。
「さぁ、どうする……?今なら、君の思い通りの【桐ケ谷】が選べるぞ?」
刑部が改めて、唯に問い掛けた。
「コンミスに選ばれし者は、俺からの干渉も一切受けないと約束しよう。」
刑部の言葉に、三人の桐ケ谷は色めきだった。
「な!?」
「なぁ、コンミス、俺にしておけよ。俺と一緒に名を轟かせてやろうぜ!」
「俺にしておけば、間違いなく俺がエリートコースまっしぐらだからね。将来も安泰だと約束する
けど。」
「なーに言ってんだよ。朝日奈さんが選ぶのは、この俺に決まってるじゃねぇか。一緒にてっぺん
取ろうぜ!」
雰囲気が違うとは言え、三人の桐ケ谷に迫られた唯は、卒倒し掛けていた。
(ちょっと待って……!三人とも……顔がよすぎ……!)
(んんっ……桐ケ谷さん……もう、お腹いっぱい……。)
初夏の昼下がり、森の広場でベンチにもたれてうたた寝するコンミスを桐ケ谷は見付けた。疲れている
のか、大きく舟を漕いでおり、下手したら倒れそうな勢いである。桐ケ谷はそっと唯の隣に腰を掛けた。
「ほら、肩貸してやるから。」
そっと囁くと、唯の頭がこてんと桐ケ谷の左肩に落ちる。
「……桐ケ谷さん……顔がいい……。」
不意に呟かれた言葉に桐ケ谷はぎょっとして、唯を見た。長い睫毛は伏せられており、すやすやと
寝息が聞こえる。
(……一体、どんな夢見てるんだか……。ちょっと夢の中の俺に妬けるな。)
ポンポンと頭を撫でると、そのまま、軽く唯の頭を抱き寄せた。
妖精が見せた真夏の泡沫の夢――。
きっと、二人の距離はこの後、もっと近付くはず……?
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