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ある昼下がりのことだった。 新緑の季節よりも、緑がより深まり、爽やかな風が吹き抜け、外で演奏するには持って来いとなった 五月のある日。 いつものように、授業の後、唯は演奏をするために、森の広場に向かった。まだ、誰も来ていなかった けれど、しばらくはここで一人で練習しようと、バイオリンをケースから取り出し、音を奏で始めた。 次のコンサートの課題曲は決まっていたので、とりあえず、弾き込めるところまで弾き込んで おきたい。 唯の奏でる調べは、風に乗って更に広場を駆け抜ける。広場で放課後を過ごす生徒も、広場に居ついて いる猫も、唯の調べに耳を傾けているようである。 更に旋律を奏でることに没頭し、その世界観を音で表現しようと、瞳を閉じて曲の世界へと思いを 馳せる。 どのくらい時間が経っただろうか……?練習に没頭すると、周りが見えなくなるのが唯の長所でも あり、欠点でもあるわけだが、バイオリンを弾いていて、不意に周りの空気に違和感を覚えた。 (何だか……ざわついている……?) はっとして瞳を開くと、目の前には、長身の桐ケ谷が立っていた。 「お?止めちまうの?……よかったぜ、朝日奈さん!」 しかしながら、である。周りの注目をタダでさえ集めやすい長身で端正な顔立ち、そしてさらさらと 揺れる肩まで伸びた髪の毛に加え、今日は常工の制服ではなく、仕立てのいいシャツ、そしてシルエット の美しいスーツを着込んでいる。 ただでさえ、華やかなオーラを纏う彼が、いつもに加えてその輝きが眩しい。 「ああ……桐ケ谷さん、顔がいいです……。眩しいです……!」 唯は思わず、御仏に祈るかのように、ははぁ~っと拝んだ。 「……って、それはさておき、どうしたんですか?その恰好!?」 「ん……まぁ、ちょっとな。そんなことより、俺にちょっと付き合ってよ、朝日奈さん。」 すっと彼は唯の頬に手を触れ、そのまま、肩を抱いて、森の広場の奥にある、小さなベンチまで 誘い込んだ。森の広場にいた好奇に満ちた生徒の視線を搔い潜り、とりあえず、二人はベンチに腰を 下ろす。 「一体、どうしたんですか!?そんな格好で学校に現れるなんて!?何かヤバいアルバイトでも 始めたんですか!?」 畳み掛けるように質問を浴びせる唯に、桐ケ谷は思わず噴き出した。 「あははっ、朝日奈さん、妄想力やべぇな!ヤバいバイトって何だよ!?」 「ほら……ホスト……とか……?」 上目遣いに見上げる唯が愛おしくて、桐ケ谷はそっと唯の髪の毛を撫でた。 「バーカ、俺がそんなヤバいこと、するわけねぇだろ?」 そう言って、無邪気に笑うと、端正な顔が近付き、そっと耳元で囁いた。 「あんたみたいな可愛いコンミスさんが目の前にいるのに。」 「……!?」 耳まで真っ赤になった唯を見て、更に桐ケ谷は笑った。 「まぁ、安心しな。今日はちょっと、街角でモデルの代役頼まれたんだよ。」 「!?」 さらっと非日常的なことを言われて、唯は一瞬、何を言っているのか、しばらく思考が停止した。 「……モデル……って……?桐ケ谷さんがモデル……?」 口をパクパクさせながら、ようやく、言葉を紡ぎ出す。 「あー、早目に出て来たんだが、ちょうど、街角で読者モデル探していたらしくってな。雑誌でよく あんだろ?で、今日本当は来る予定だったヤツが体調崩しちまったらしくって、まぁ、その代行、 みたいな?」 「はぁ……。」 確かに、彼は美形である。華やかさもあり、モデルと言われたら、身内の欲目で見たとしても、本当に かっこいい。 「で、俺も知っている雑誌だったし、時間もあんまり掛からないから、ってことでこなして来た、って わけ。で、バイト代くれる、って言ってくれたんだが、練習に遅れそうだったからな。服を 買い取った、ってわけ。まぁ、その代わり、たまに読者モデルとして、顔出してくれ、って言われた けどな。お礼もしたい、とは言ってくれたんだが、貴重な体験だったぜ。」 さらさらと、ありえない、まるでドラマのような世界に、唯はただただ桐ケ谷の話を聞くしか 出来なかった。 「じゃあ……桐ケ谷さんには、スタオケを雑誌でアピールしてもらわないと、ですね!」 「はは、さすがコンミス。」 「じゃあ、そんな桐ケ谷さんを、もっとかっこよくさせて見せます!!」 今まで、完全に桐ケ谷のペースにはまり、呆然としていたが、唯は唐突に何かを思い立ち、にっこりと 微笑んだ。そして、ベンチの後ろに回り込むと、ぎゅっと桐ケ谷の長い髪の毛を掴んだ。 「ん……?」 「じゃあ、私が、そのスーツに似合う桐ケ谷さんのヘアースタイル、考えますね!」 「え……?ん……あぁ、いいぜ……?」 不意に背後を取られて、桐ケ谷は思いの外、緊張していた。 「どんな髪形がいいかなぁ~?三つ編みとか入れても可愛いかも?」 唯は桐ケ谷の緊張など知る由もなく、子供のように、桐ケ谷のさらさらの髪の毛を弄んでいる。この 時間が長く続けばいい、と思う気持ちと裏腹に、唯との距離が、自分に触れられている事実を思うと、 胸の奥がひどく疼く。 「はい、出来ました!」 唯は桐ケ谷の髪の毛を部分的に編み込み、そして、後ろで髪の毛を一つに結わえた。唯は、持っている 手鏡を桐ケ谷に背後から見せた。 「お……いいんじゃね?」 「でしょ~?でも、桐ケ谷さんの髪の毛、あんまりにもさらさらだから、ちょっと羨ましいな~。」 「……それにしても、朝日奈さんは大胆だな。抱きついているみたいに見えると思うんだけど。」 「へ……!?……え!?本当だ、ごめんなさい!?」 慌てて離れようとする唯に、桐ケ谷はしっかりと彼女の腕を掴んだ。 「逃がさないぜ、コンミスさん。」 「――!?」 端正な顔が近付いたかと思うと、桐ケ谷は不意に唯の唇を塞いだ。 森の広場を渡る風に、甘い花の香りが混じっているような、そんな午後の出来事――。 |
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【Twitter】の企画【スタオケ版フリーライト】様(@stoc_freewrite)の作品です。 【第6回スタオケ版フリーライト】 お題:赤面 イラスト作品:染様(@hnsimi7) 染様のイラスト🎨🖼をお借りして、作品にさせて頂いたものです。 初の桐唯でしたが、ちょっとぶっ飛んだようなネタしか思い付きませんでした。でも、桐ケ谷さんなら ありそうだよね🤔⁉ (2022年5月21日完成、2023年11月12日サイト掲載) |